当事者意識をもつことで、さまざまな人生問題の答えを先取りできる!!

「持続可能な開発のための教育」という言葉をご存知でしょうか?

現代社会の課題(人権、貧困、環境)を「自らの問題」として、身近なところから実践することで、問題解決につながる価値観や行動を生み出し、持続可能な社会を創造していくことをめざすための学習です。

2002年のヨハネスブルグサミットで、日本政府およびNGOが提唱し、国際連合が主体となって取り組んでいます。

この教育の特徴は、「自らの問題」として実践するということです。
つまり、当事者意識をもつということ。

社会問題は、個人の力で解決できるようなものではありません。
一人ひとりの当事者意識が重要です。

しかし、当事者意識をもつということは、とても難しいのです。
それが、社会運動が広がらない一つの要因になっています。

社会活動を妨げるもの-当事者意識をもてない

伊東聖鎬は、自身のいじめの体験をきっかけに「差別のない幸せな社会」を求め、10代後半に全国放浪のたびに出ました。
しかし、「どこかに自分が求めている空間があるのではないか」という期待は裏切られ、社会には自分が経験した以外にも、さまざまな差別や社会問題が存在し、苦しんでいる人がたくさんいるということを知ったのです。

「そんな空間がないのなら、自分で創ろう」と考えるようになりました。
当初はその空間を「理想郷」と呼び、今は「安住村」と呼ぶようになりました。

しかし、そんな空間創りは個人でできるものではありません。
「自分と同じような考えを持っている人に呼びかけ、そんな仲間が集まればきっとできる」と考え、伊東は50年計画を練りました。

お金も地位も立場もない一人の若者が、そんなことを達成するには、時間をかけて地道に活動し、多くの人の信頼を得ることだと考えたのです。

それから50年が経ちました。

「人に信頼され求められる人間になろう」と考え、そのために計画した伊東聖鎬の人生はほぼ計画通りに進みました。
国内だけでなく、海外からも請われ、セミナーや講演を行なうようになりました。

しかし、その活動を広げる上で、妨げになっていることがあります。
その一つが、「当事者意識をもてない」ということです。

伊東聖鎬は、30代の頃から多くの人に活動を伝えるために本が必要と考え、出版社を作りました。
そして、何十人ものライターに本の執筆をお願いしてきましたが、完成することはありませんでした。

いったいなぜ?
それは、伊東聖鎬が作ろうとしている本は、当事者にしか書けない内容だからです。

ライターとの打合せの中で、伊東は当事者意識の必要性をライターに伝えました。

[st-kaiwa1]これまで、何十人ものライターに執筆を依頼しましたが、書ける人はいませんでした。
私の話を理解するのは難しいんだと思います。
ライターという立場ではなく、自分のこととして話を聞いて頂ければ書けると思いますが……。
それが難しいようです。

私が行なっていることは、誰もがが自分のこととして考えなければならないことです。
しかし、いくら話をしても理解できないし、考えられないという人が多いのです。

誰なら考えられるのか?
それは障害を持っている人や難治な病気や症状で困っている人、苦しみ悩んで自殺を考える状況にある人です。[/st-kaiwa1]

当事者でなければ分らない

[st-kaiwa1]先月、小田原のワークショップに多発性硬化症の20代の息子と60代の両親が参加していました。
息子は車椅子に乗っているし、よだれが出ても飲み込めないような状態でした。

母親は、自分が勉強してなんとか息子を良くしなければと、一生懸命私の話を聞いているのですが、分からないんです。 「
分からないでしょう?」と聞くと、「分からないです」と答えました。

でも、息子は「分かる」と言いました。

私の話しは、当事者でなければなかなか分からないようです。
多くの人は、そんな状態になりたくないから自分とは関係ないと思いたいのです。[/st-kaiwa1]

当事者になってからでは遅い

[st-kaiwa1]日本中にいろいろな事件やトラブルが毎日起こっています。
そしてその被害に遭った人がたくさんいます。
でもほとんどの人は他人事です。

沖縄の米兵の暴行事件で沖縄では抗議活動が盛んに行なわれていますが、沖縄以外の人達は無関心です。
東京で問題があったとしても大阪は無関心です。

日本の社会は、未だに封建社会なんです。
お上(国)のやることに素直に従うよう教育され、国民のほとんどは、国の言うことをきいていればなんとかなると、人任せにしているんです。

そして、自分が当事者になって初めて、国は自分のことを守ってくれない、何もしてくれない、自分で何とかしなければ……と気づくんです。
いつ自分がそうなるかは、分からないですよ。
突然脳梗塞で倒れて半身不随になるかもしれないし、車に轢かれて車椅子の生活になるかもしれない。

そうならなくても年を取れば、寝たきりや、認知症になる可能性は誰にだってありますよ。
そうなった時、国はあてにならないというのはもう分かっているのだから、自分達で考えなければならないと思うのですが、多くの人はそんな風には考えていないですよ。

でもそうなってからでは遅いんです。
私は中学生の時からこんなことを考えていました。
それは、いじめによる自殺未遂がきっかけでした。
19歳から全国を放浪し、社会の弱者側にいる人達にたくさん出会いました。

30代で、医師、歯科医師、治療家等の医療者を対象にセミナーを開始し、受講者が治せない難治な病気や症状の人を紹介でみるようになりました。

そして、もっと人を知らないとそんな人の役に立てないと考え、全国各地でさまざまな状況で行き詰まり、悩んでいる人達と出会う場を作り、話を聞き一緒に解決の道を探るという活動を続けてきました。

行き詰まり、自殺を考えるような状態にいる人たちの話をたくさん聞いて、どうしたらいいのかを真剣に考えれば、誰だって私と同じようなことを言い出すし、やると思いますよ。[/st-kaiwa1]

ー2012年10月29日 ライターとの打合より抜粋

当事者意識をもつためには?

伊東聖鎬は国籍差別(在日韓国人)やいじめの体験に遭った当事者です。
しかし、それら以外のさまざまな問題が社会に存在しています。

伊東は、「夫婦」「親子」「家族」「子育て」「妊娠・出産」「恋愛」「結婚」「離婚」「人間関係」「仕事」「生き方」「過去のトラウマ」「未来の不安」「人生」「老後」等々、さまざまな問題で行き詰まり、誰に相談しても解決しないと悩んでいる人達の相談を受けてきました。
そしてどうしたらいいのか、解決策を探る中で「答えは脳にある」ということを知り、脳の情報を読む「読脳法」を開発したのです。

伊東聖鎬は悩んでいる本人以上に、相手のことを考え、相手の立場に立ってどうしたらいいのかを考えています。
そんな当事者意識がなければ、相手の脳の情報は読めないのです。

そう考えれば、読脳法を学ぶということは当事者意識を持つための学びでもあるのです。

当事者意識を持てと言われても、そう簡単に持てるものではありません。
しかし、本当に困って、どうしようもないという人に応えなければならない立場になれば、できるのです。

そして、それは自分がそうなった時の答えを準備できたということになるのです。

読脳法はさまざまな人生問題の答えを先取りできる

突然さまざまな問題にぶつかった時、多くの人はどうしたらいいか混乱します。

しかし、読脳で人の協力を行なっている人は、そうなる前に答えを持てるチャンスがあるのです。
たくさんの人の相談を受ければ受けるほど、たくさんの答えを知ることができるのです。

つまり、読脳でいろいろな問題の解決の協力をしていくことは、さまざまな問題の当事者になれ、さまざまな人生問題の答えを先取りできるのです。