CWコミュニティ構想

第3章 医療の世界へ

 

姪の知的障害を知る

 
丁度そんな時でした。
最愛の姉の娘に、知的障害があるということを知ったのは。
それがキッカケで、医療の世界に飛び込みました。
医療の世界に入ってからは、「どんな医療が姪を救ってくれるのだろうか」、と考え、いろいろな治療法を勉強しました。そして「姪は病気ではない。ああいう個性なのだ。
姪のような障害者-弱者が安心して生きていけるような場こそが必要」と考えるようになりました。
それを実現するには多くの人に、自分の考えを、聞いてもらえなくては……
まず、そんな場を作らなければならない。どうすればいいのだろう……
そんなことを考える日々が続きました。
 

全国講演をスタート

 
「そうだ。人を集め、講演やセミナーをすればいいんだ。それを全国的にやっていけば、可能性もでてくるのではないか」と考えたのです。
日本にまだカイロプラクティックがほとんど紹介されていない頃、米国留学を終えて帰国したカイロプラクティック・ドクターがスクールを開校すると聞き、1期生として入学しました。
その後、熱心に勉強と研究と臨床を行い、自分なりに作り上げたものを、教科書にして出版しました。
カイロプラクティックの看板を上げて治療している人は、全国でもわずか500~600人くらいしかいない頃でした。
そんな中で、私の出版した教科書は、爆発的に売れました。
治療業界では、ベストセラーといわれました。
私の技術は独特なもので、医師や歯科医師、鍼灸師、柔道整復師、その他いろいろな治療を行っている人にも支持されました。
私は、鍼灸学校を卒業した後、玄米菜食の自然医学を主宰し、食餌療法と現代医学、漢方や鍼灸、カイロプラクティックなども取り入れている、森下博士のお茶ノ水クリニックの物療科で臨床を行っていました。
鍼灸や漢方にも興味のある医師や歯科医師、鍼灸師、柔整師や整体師、その他さまざまな療法を行っている人たちが、私のセミナーに参加してきました。
そして全国に広がり、全国各地でセミナーを行うようになりました。
全国各地でセミナーが始まり「治療とは、医療とは、人とは」をテーマに、理想の医療を求めての講義でした。
「人が人に接する仕事は最も大切な職業です。お金のため、生活のために治療するのではなく、治療は相手のために行うものです。ですから相手を知らなければ良い治療はできません」
と話しました。
しかし、まったく私のいうことは理解されませんでした。
「治療は職業であり、生活費を稼ぐためのものであり、それ以上のものではない」という態度でした。
「本当に良い治療をしたいのなら、病気やさまざまな症状の原因を知ることです。そのためにも、相手を知って下さい」、それでも駄目でした。
「私の治療法は検査が第一です。-相手からの情報を得て治療する方法です。そのために、相手を知らなければならないのです」
ようやく耳を傾けだしました。
 

いろいろな人を相手に講演会を全国で行なう

 
「相手を知る、とはどういうことなのか」それが一番大きなテーマでした。
そうしている内に相手-さまざまな人-を知るためのセミナーが必要になり、医療者だけのセミナーばかりではなく、「赤ちゃんとお母さん」・「幼児とお母さん」その他一般の人を対象に、いろいろなセミナーが、スタートしました。
その結果、15年で、約6000回の講演やセミナーを、全国各地で行うようになりました。

医療者を対象にしたセミナーでは、「人と人が向い合う場が、治療という場です。コミュニケーションを大切にし、技術を押し付けるのではなく、相手の本心を知ることに集中すべきです。そのためには、自分が医療にたずさわってるという事に誇りを持ち、自分の役目であることを、充分に理解し、とことん自分の納得できる医療を追及することです」と話しました。
しかし、駄目でした。
そんな教育は、まったく受けてきていない人たちでした。
多くの人は、生活のためであり、借金返済のためであり、趣味・娯楽のためであって、相手、患者、人のためではない、というのです。
そんな人たちに対する講義も、段々と意欲がなくなっていきました。
何とか姪のような児(人たち)が安心して生きていけるような場を作らなければ、という思いが講演やセミナーにかりたてましたが、それも期待できないことがわかってきました。
そして、ついに医療者対象のセミナーは、40才を過ぎて積極的には行わなくなりました。
一方の赤ちゃんや幼児、子供と親や、一般者対象のさまざまなテーマでの講演やセミナーも、ある面では同様な反応でした。
多くの人が、余裕をもって生きてはいません。
毎日の生活に疲れ、夫婦の間も、親子の間も、先生と生徒の間も、友人同志も、社長と社員の間も、あっちもこっちも、コミュニケーションがうまくいっていないのです。
そんな人たちは、自分以外の人のことを考える余裕がないのです。
子供が危険な状態にあっても、「他人の子のこと、自分には関係ない」声さえもかけないのです。
そんな社会になってしまっているのです。
「人のことをどんなふうに考えればいいのかわからない」というのです。
社会にはさまざまな問題があります。
経済のことや教育、医療、公害……いろいろいっぱいあります。
しかし、ほとんどそんなことを考える余裕などないのが現実です。
そこで私が、「弱者や障害者(児)の立場になって考えなければならないことがあります」を訴えてもほとんどの人は聞けてはいません。
「そんなことより、自分の方が大変なんだから……」
……そうなんです。私が企画した講演やセミナーは、「いろいろな問題で悩んだり、困ったりしている人のための……セミナー」だったのですから。
参加者は、すべて迷い悩み困っている人達ばかりだったのです。
私の訴えなど、どこかへ吹き飛ばされてしまいました。
そんな講演やセミナーを、全国各地で行っていました。
そして、気づいたことがありました。
それは、「自分の悩み事や困ったことを、話せる人がそばにいない」という現状です。
だから、「そんな事で悩む必要も、困る必要もない」、といってくれる人がいないのです。
これも、社会のひずみなのか……
「隣近所でさえ、コミュニケーションがなく、赤ちゃんや幼児のことで、聞きたい事があっても誰にも聞けないのです。
その前に、聞けるだけの付き合いもしていないのです。
そんな社会に誰がした……
そんなことを話していた頃でした。
私は、自分の納得できる生き方を掴みたい、と考えていました。
自分の生まれてきたことのいみや、理由を知りたい、そして何でこれからも生きていくのかの、理由も知りたい、そして、「絶対の幸せ」を掴みたい。とずうっと思っていました。
小学生の時、自分で自分の命を断とうとし、果たさず生き残った自分です。
そんなことで、全国放浪にもつながっていきました。
そして、それを掴む時が来ました。