CWコミュニティ構想

第7章 本当の「教育」とは

 

教育こそが原因

 
それは、漫然と行なっている「教育」のせいでした。
教育が、人をこんなにもしていくのです。
「教育の大切さ、重要さを知らない人が政治を行い、教育制度を作ると、こうなってしまう」
というはっきりとした実例が、日本の今の社会です。
それほどまでに、「子に躾ける」・「教育する」・「人を育てる」ということのむずかしさ。
だからこそ、「人を知り、その人の元を知り、その人の元の情報をキャッチし、その人に必要な躾・教育・指導をしなければならない」のです。
国の都合、企業や経済界の都合、親の都合で、躾や教育・指導をするのはもう終わりにしなければならない時に来ているのです。
世間の事件や子供たちの現状、高校・大学を終了した人達の無気力さ、それはまさに経済界にそのまま反映しています。
そんな教育・指導の中で育ってきたのです。
上から押し付けられた知識のままで社会に出てくるのです。
持っているもの、考えるもの、みな、皆と同じなのです。
何も変わっているところがないのです。
同じ籠から出てきたものばかりなのです。
それは、皆同じ色の、同じ大きさの、特徴も皆同じものの、種類分けをした後の、同じ籠に入っている、同じリンゴなのです。
どれを食べても、皆同じ味なのです。
誰がやっても同じ政治、同じ政策、同じ経営方針。
そんな社会に誰が期待できますか。
子供達は、大人よりはるかに、はるかに、元の情報をキャッチしています。
「これはおかしい、これは変だ、とすでに感じていた」のです。
だから、親の言うことも聞かず、教師の言うことも聞かなかったのです。
それなのに無理矢理に押し付けるのです。
そんなやりかたに耐えられるほど感性は、まだ鈍ってはいないのです。
それだけに傷つけられ、痛めつけられ、落ち込んでいくのです。
それでも、自分達の都合が優先し、なおも同じことを繰り返し、押し付けてくるのです。
それが大人達の、政治家達の、企業家達の手法なのです。
「元からの信号」をまったく無視し、育てられ、育ってきた人達のやることは、「自分がやられたのと同じことをやる」、ことに何の疑問も、持たないのです。
その結果が、今の退廃した政治であり、世界の経済の考え方、捉え方についていけない経済界であり、そんな政治と裏取引することで、自分たちの命を永らえようとする医療界。
本当の人育てとは、何もかもまったくわからない、知るよしもない人達の世界、教育界。
そんな世界に囲まれている国民。
その国民の中の一人ひとりが、政治家に、企業家に、医師に、教師になっていくのです。
少しでも疑問をもち、悩み、もがき、その中から答えを出したのであれば、今の日本は変わってきたはずです。
しかし、そんなこと現役時代にやれば、卒業どころか、進学さえさせてもらえない、というのが現状です。
そんな制度が良いか悪いかぐらいは、誰でも分ることです。
なのに、無くなることはありません。
それは、「誰かに都合が良い」からです。
誰かに都合が良いのであれば、それにあやかって、自分も都合良いようにしてもらおうと考えるのが、そういった人達です。
そんな人達が集まると、自分の懐以外はもう見えないのです。
かくして、そんな人達でできあがっている今の日本の社会。
子供達が何を、期待し何を夢み、何を目標に勉強すれば良いのか、分るはずがあるでしょうか。
そんな子供達は、期待しないことで、夢みないことで、目標をもたないことで、かろうじて自分を持ち堪えようとしているのです。
それなのに、政治の、企業の都合で、さらに覆い被せるように、汚職、買収、選挙違反やヤミ献金、天下り、切りがないほどのスキャンダル、国民への背信、脱税、偽造販売、虚偽申告、詐欺行為―等々。切りがないほどの法律違反、国民への偽り。
子供はどこかに穴があれば入りたい思いを我慢して、学校に通わなければならないのです。
それも、無理矢理に押し付けられているのです。
そこからせめても逃げ出したいと思っても、許されてはいないのです。
再び云います。「大人よりも、子供の方が元の信号をキャッチしていて、何がどうでなければならないかを知っているのです」
自分達よりも、元の信号をキャッチしている子供達を虐待していることには、何の感情も動かさないのに、自分達の不利益には敏感に心を動かすのです。
一体、子供は何処へいけば良いというのでしょう。
10年後には、そんな子供達が社会に出てきます。
20年後には参政権を持ち、政治家にもなっていけます。
会社の要職にもつきます。
医師にも、教師にも、弁護士にも、裁判官にだってなっていきます。
30年後には、社会の中心になる人材です。
そんな彼らの夢や希望を、片端から摘み取ってしまえば、これからの国に未来があるでしょうか。
自分の都合しか考えない、主張しない人達に任せておけば、国は滅びます。
誰かが、「自分の元の信号を、声を大にして叫ばない限り、何も変えることができないでしょう」
このまま放っておけば、今までの繰り返ししかありません。
その流れを変えるのは、「物」に囲まれ「金」のうまみを知り、どんな形にも、どんな方法にも、そのための目的であれば、自分を変えることのできる、自分の元を無視して生きてきた人達にはできるわけがありません。
医師や教師かこそ、今の制度への改革を訴えるべき時期なのです。
より民主的な医療・教育を求めて……
医療や教育が誰のためにあるのか……
国や団体―個人のためにあるのではありません。
受ける側のためにあるはずです。
受ける側、つまり自分も含めて、すべての人が受ける側であることを認識しなければなりません。
行なう側の主導であれば、それは停滞し、腐敗し、ほころんでいくのは当たり前です。
日本も医療や教育に関して、もう大人的な発想が必要な時期にきているのです。
「お前達にしてやっている式」の「義務教育」・「保険制度」では、いつまで経っても互方の成長は期待できません。
 

理想郷の基礎

 
互方ともが、成長するためには、共々にリスクを負い、それに打ち勝ってこそ、次の段階に上がるというものです。
さらに打ち勝って、さらに上の段階に上がらない限り、理想的な医療や教育は手に入らないはずです。
「医療は悪くなって受けるもの」、の前に、「そうなる前の教育」を徹底し、それぞれ個人の自主性を高める作業が優先されなければならないのです。
教育とて同じです。
それぞれの家庭・地域がもっと積極的、自主的に関わり、「その子の持っている元の信号を育てるべく、その子に合った教育を探り出し、その子用の教育システムを作り出すことこそ始めなければならない時がきているのです。
そんなことに目を閉じないで下さい。
国中の人が関心を持っている医療と教育。
教育は義務教育だけをいっているのではありません。
高・大学はもちろん、社会人になってからも、それは同様、個人の可能性を引き出すべく、「その人用の教育、あるいは指導を行なうべきなのです。
「自分の元の信号に忠実に生きてきた人達」が、育ってこない限り、それはできません。
大切なことは、「その人の元の情報をキャッチし、その人が本来あるべき生き方に、少しでも手助けできる人の存在」、これが今一番必要とされているのです。

そして、そんな人の中で育ってきた青年達が日本の、世界の、政治・経済・医療・教育・思想などをさらに進め、地球環境を守り、世界平和のために役立つ人材になっていくのです。
それは、「自分の元の信号は、世界中の人が共通にもっているもの」だからであり、そんな人が行なうのは、世界中で同じはずだからです。
世界に通用する人材、それが、今日本に望まれています。
「世界に通用する人材は、その人の元の信号通り生きる人」です。
そんな人達が考える農業、食物生産、教育、医療、経済、政治。
そんな人達が作る空間。
公害のない汚染されていない、空気、水、土壌。
そんな中で育つ子供達、誰もが自然の中で生活し、自然の中で自分の将来を考え、自然の中で友と語り合う、そんな空間を作るはずです。
それはまさに「理想郷」です。
それほどまでに、「自分の元の信号―情報をキャッチする」ことが大切なのに、どうしてそんなことができないのか……

 

無事安全な考え方生き方が、人や国を駄目にする

 
多分、忙しすぎるためなのでしょう。
それと、親の無事安全な考え方や生き方が、子にも反映し、そんな中で育ってきた結果落ち込むこともなく、悩む事柄もなく出来る限り、何事も起こらないように生き、人との争いも起こらないよう生活をすることが、親の望みであり子の望みにもなりました。
そして、社会もそんな状態にあることをよしとし、そのための保険、どこもかしこも何事も起こらないことを望み求める。そんな国、社会、地域、会社、学校、家庭ができあがってきたのです。
戦前を考えれば、まさにそんな国や社会こそ求め憧れていたのでしょう。
戦後、50年以上過ぎて、間違いなくそんな国にはなりました。
どんなにしても、人にはエゴがあります。
グループ、団体、会社、企業、それぞれにそれぞれのエゴがあります。
大人しい時はいいのですが、少しづつ主張が強くなっていきます。
主張するために、グループ・団体・会社ができたのですから、それは当然のことです。
しかし、主張とエゴは違います。
相手の状態や立場を考えないで主張するのがエゴであり、主張は互いに尊重し合いながらするものです。
社会が落ち着いてくるにしたがって、それぞれエゴが出てきました。
そして、それは秘密裏に行われたこともたくさんあります。
それが公害へと発展していきました。
それだけではありません。
身近にもさまざまな問題が降って湧いてきました。
「無事安全何事もなく」は元々存在していないのです。
もっとも、「何があろうが何事もなかったような顔をしていられることが望ましい」のかもしれませんが……
しかし、それだけではありません。さまざまな国のさまざまな問題のことまでは考えていなかったのでしょう。
自分の国、一国だけが存在していると勘違いし、「自分さえ良くなればいい」の考えで突き進んできたのでしょう。
その証拠に、外国に対応できる人間が育っていないのです。
外国で起きるさまざまなことが、翌日には日本の問題になるという外国が隣近所の関係になっている現在、自分の国だけをうまくやるということなど、有り得なくなっています。
そのようになっていくことぐらいは、40~50年前でもわかったはずです。
にもかかわらず、何の手も打ってなかった。
少なくとも何の手も打ってきませんでした。
人材を見れば、それは一目瞭然です。
それは、この国に住んでいる国民だけがわかるのではなく、外国から見ても分ることです。
「人材が育っていない」ことぐらい、誰にでも、どこの国の人でも分ります。
こうなることくらい当の昔にわかっていたことです。
それなのに、手を打ってこなかった。
それがこの国の政治であり、国民なのです。
このまま放っておいては、それだけでは済まなくなります。
国際政治や外交のことは専門家に任すとしても、自分たち一人ひとりの生き方までもが、いつのまにか同じように影響を受け、そんな国の政治家と同じような考え方やり方をするようになってしまっているのです。
振り返って、自分や廻りの人達を見てください。
希望に燃えて生きている人いますか?
自分勝手でなく、自分の生き方を通して、生きている人がいますか?
自分のわがままや好き勝手で生きるのではなく、自分の役目、役割というものをしっかり持って生きている人がいますか?

……

いつのまにか、そんな国で育った人達です。
気付かないうちに、「日本でしか通用しない人間」になってしまっているのです。
外国語が話せるから通用するというものでもないのです。

 

「グローバル」とは何か

 
現代、世界はグローバル化しています。
国は今になって遅れまいとして英語教育に力をいれだしました。
グローバル化とは、そんなことではないのです。
一国主義をやめることから始めなければならないのです。
外国も日本もなく、外人も日本人もなく、外国の問題、日本の問題もなく、皆同じ、皆家族なのです。
肌の違いや、言語の違い、食べ物の違い、習慣の違いが問題ではないのです。
「その人の生きる権利は、自分と同等にある」のです。
「その人の主張は、自分と同じようにある」のです。
「その人の考え方は、自分と同じように尊い」のです。
「その人の未来は、自分の未来と同じように可能性をもっている」のです。
「その人は、自分と同じように元からやってきた」のです。
「その人のすべては、自分と同じように元にある」のです。
「その人の信号は、自分と同じように元から来ている」のです。
「その人の情報を知るには、自分と同じように自己センサーを使う」のです。
「その人は、自分に役に立ってくれる人になり得る」のです。
「自分もその人の役に立つことができる」のです。
「その人の幸せも自分の幸せも、元と一体になること」なのです。
「同じ幸せをもち、同じように幸せを求め、時間を過ごし、空間を生きている者同志、力を合わせ、協力しあいながら生きていくことが自然」なのです。
「同じ空間にいる者同志、同じ価値観で相手を見、考え、関わることの大切さを知ること」です。
グローバルとはそういうことです。
宗教の違いで相手の価値が下がるわけではありません。
何ものにも増して自主独立、何ものからも影響を受けない、そんな考え方、生き方が一番尊いのです。
どんな宗教も無理強いは良くないのです。
自分の外にあるものを信じるよりも、「自分の内―元」を信じるのが自然です。
「自分の元」を信じるために、「自己センサー」を鍛えればいいのです。
誰も自分の考えを、人に押し付けてはいけないのです。
自分と同じように、人を愛することです。
「自分の愛しかた」を知らない人は、「自分の元」を知ることです。
「自分の元は幸せの空間」です。
その空間からやってきたのです。

 

赤ちゃんは何処からやってきたのか?

 
だから、生まれた赤ちゃんはすでに幸せを持っているのです。
その赤ちゃんの発する信号は、「幸せの空間からのメッセージ」です。
どんな空間か、赤ちゃんに問いかければわかります。
それが「赤ちゃんとのコミュニケーション」です。
「赤ちゃんとのコミュニケーションを始めようと思って、始めたのですけど、何を聞いていいのかまったく分からないのです」
とお母さんはいいます。
「お父さんもやってみてください」
でも、やはりすぐに行き詰まります。
「では方法を変えて自問自答してみてください」
「何をですか?」
「何も聞くものがありません!」
「自分にきくものがなくても、赤ちゃんには聞いてみたいと思うものがあるのですね」
「そうなんですが、すぐに行き詰まってしまうのです」
私が、16・7年ほど前に大阪で行った、「親と子の会」で少し違う質問を母さん方にしてみました。

『「皆さんから見て、赤ちゃんというのはどんな存在ですか」
すでにいろいろなものをもっていると思います。
何でも知っているような目をするときもあり、本当にそうなんではないかと思うときがあります。
赤ちゃんは100%だと思います。
「では皆さんは、何パーセントですか?」
「あなたは」―50%ぐらいかな。
「あなたは」―40%ぐらいかな。
「あなたは」―30%ぐらい
「ずいぶん低いですね。どうしてそんなに低いんですか?」
何か知らないうちに、どんどん汚れてきて、気がついたら30%ぐらいになっていたという感じです。
20才位の時は、もっと高かったような気がします。
「どれくらい」―70%くらい
「もっと若いときはどうでした」
高校生の頃なら―80%くらいはあったと思います。
「もっと若いときは」―中学時代?
「いやもっと若いとき」―小学校?
「そう」―90%ぐらいはあったと思います。
幼稚園ぐらいだったら、95%ぐらいはあったと思います。
「じゃ、赤ちゃんの時は」―100%あったと思います。
「ということは、皆さんも赤ちゃんの時は、100%だったんですね」
そうでーす!私たちも赤ちゃんの時は100%だ……っ…た…ん……だ!
「なんだか皆さん、感慨深くなってしまいましたね」
「何が、100%なんでしょうね」
……純粋さじゃないかなあ……
……汚れなさが100%じゃないかな……
可能性が、100%じゃないかな。
幸せが、100%じゃないかな……
生まれたばかりで、全部そろっているということが、100%。
「じゃ、皆さんはどうして減ってきたんですか?」
……いろんなことを、教えられたからかなぁ……
……だんだんずるくなってきたからかなぁ……
親から、損得を教えられたからじゃないかなあ……
成長するに従って、駆け引きするようになって、ますます純粋さがなくなってきた。
いろんな人を知るようになって、自分も悪くなってきたんだと思う。
「じゃ、赤ちゃんの時から、100%をもち続けるということはできますか?」
……できないと思います!
ただ、今の自分達みたいなほど、低くならないようにはできると思います。
「それは、どのようにしたらできるんですか?」
先生がいっているようなことをいつも考え、そんな考え方で生きて、子供と付き合えば、そんなに下がらないと思います。
先生!先生に聞いていいですか?
「なんでしょう?」
ところで先生は何%ですか?
「エッ!……ウッ!考えていませんでした。
エーット、60%ぐらいですね。」
先生でもそれくらいですか?
「いや、私も人生を求めて生きている身ですから、まだ答えは掴んでいないし、掴むためにこんな場を作ったり、治療したり、大勢の前で話してみたり、旅をしたり、いろんなことをしているわけですよ。私の目的も、100%掴むことなんです。私が赤ちゃんの時、何%だったかは憶えていません。気づいたとき、間違いなく100%から落ちている自分を認めました。
ハッ!として、それがきっかけで中学生の時から、100%を掴むために、どうしたらいいのかを求め出しました。それが、全国放浪だったり、『100の地域で100の仕事をする』とか、その他にもありますが、いろいろな目標を立てて生きてきたのです。私も100%掴めなければ、生きている意味がないと思っています」
こんな会話でした。
このときは何が100%なのか、明確にはわかりませんでした。

 

「元」との一体 — それは何だったんだろう?

 
それから2・3年したときです。
以前の私の患者さんで、友人の英国人ジョンから電話があり、「自分の行っているトレーニングを見てほしい」と電話があったのは。
それで出かけて行きました。
それは、呼吸法を使っての、精神ケアーのトレーニングでした。
私は、皆とは違う勝手な呼吸法を、1人で始めてしまいました。
それがきっかけで、死の恐怖を体験することになりました。
それは、まさに命をかけた修業になりました。
約2時間後、無事生還しましたが・・・・。
そして、私は、「黄金に光り輝く空間」を見てきました。
それは、「私の生きていることの意味」、すべてがそこにありました。
それは、「幸せの空間」そのものでした。
「幸せとは、その黄金に光り輝く空間を見ること」だったのです。
見るだけで「幸せとは何か」が分るのです。
そんな体験をして、なお4・5年かかって、ようやくそんなふうに確信が持てるようになりました。

人生のスタートのきっかけになった、「死ぬまでには、100%幸せを掴みたい」、を達成したのですから、「後はもう死ぬだけ」と思い、死に場所を捜すようになりました。

大分空港のそばの、奈多神宮の中にある一軒家の元民宿を借りました。
そこでの生活は、「死を待つだけの生活」でした。
3カ月がたったころ、「あっ!第二の人生が始まったのだ!」と気づきました。
それからは、「第二の人生の目的」を見つけだす時間でした。
そして、出てきたのが、「人を育て、理想郷を作る」でした。
自分は、いろんなことも有ったが、自分の100%を見つけ出すことができた、「これからは、自分の100%を求めて生きている人に、少しでも役立つことをする」こと。
「それ以外にない」、とはっきり思えました。