ヒューマンエネルギー研究所
第3章 「ツボ」の本当の起源
これは、「ツボ」を使って鍼や指圧を行っている人さえも知らない話です。
今日のように、「ツボ」といわれるずっと以前の話です。
中国の、ある国の、ある山の麓に、白い髭をたくわえた老人が住んでいました。
その老人は、病を治す名人といわれていました。
人里はなれた山の麓なのに、近隣の村から村人がぞくぞくとやってきました。
老人や子供、婦人や少女、屈強の男までもが来ていました。
よく見ると、それぞれ顔をしかめ、連れの者の肩に腕を回している者、若者の背に乗っかっている老人、杖をついている者、足を引きずっている者、さまざまです。
なのにしばらくすると皆が皆、笑顔で元気な格好で帰っていくのです。
いったい、その家では何をしているのでしょう。
覗いて見ましょう。
そこには、あの老人がいました。
その老人の前で、足を引きずって入っていった若者が座っています。
椅子に座ることさえままならない、という風情です。
「突然右脚が痛くなり、放って置いたら歩けなくなった」と、いっています。
この老人は、話を聞き終わるやいなや突然右手を若者に向け、真正面にかざし、目をつむり、何ごとかささやいたかと思うと、若者の腰のつけ根あたりを親指で強く押しつけました。
そして、「立って歩いてみなさい」と、いうのです。
周りの者も、もちろん本人も、いぶかしそうに老人を一目見ました。
若者はいわれるままに立ち上がり、歩き出しました。
最初は、恐る々々ゆっくりと歩を進めていましたが、5、6歩も歩くと普通に歩き出しました。
みんなも、拍手喝采です。
若者は大変恐縮して、門を出て行きました。
もうしばらく見ていましょう。
若者の背に乗って入ってきた老人は、「朝起きると立ち上がることができず、座り込んだままになってしまった」というのです。
例の髭をたくわえた老人は、座り込んでしまった老人の前へ行き、中腰になってその老人に向けて右手をかざし、ブツブツ。
少しして立ち上がり、右手の親指で首の下の方を一度押しました。
「立ち上がって歩いてみなさい」そういうと、自分の椅子に腰掛けてしまいました。
座り込んでいた老人はようやく身体を動かし、両手をついて腰を浮かせました。
そして、腰を伸ばし、ゆっくりと背筋を真っ直ぐにすると、一歩一歩、歩き出しました。
何もなかったような顔をして、歩き回っています。
その老人は、孫と思われる若者と連れ立って、元気に門をくぐってでて行きました。
中年の女性は、肩に手をやりつらそうにしています。
乳呑み児と2才になる幼児を抱え、農業の手伝いと家事で、「肩から背中が張って痛い」といっています。
ようするに、「現代の肩こり」のようです。
髭の老人は、やはり右手をかざし、ブツブツ。
そして婦人の肩の下を、拳でトンと叩きました。
「首を回してごらん、肩も、腕も」
「あ、楽です。回ります。肩も軽くなりました。これでまた、仕事が出来ます」
といって、元気に帰っていきました。
屈強の男はどうしたのでしょう。
「腕が上にあがらなくなったのです。あげようと思うと、痛くてあげられないのです。そのうちよくなると思っていたのに、もう一週間も経ちます」
髭の老人は男の横に立ち、目をつむって、なにやらブツブツといっています。
やはり、右手をかざしています。
男の右腕を外側に回転させ、少し斜め後ろに腕をあげさせ、右手で腕をつかみ、左手は肩を押さえるようにして、身体を寄せ、ぐっと腕を肩に押し込みました。
男はまったく痛くない、という顔をしています。
「腕をあげてみなさい」
腕はスーッと上にあがりました。
「いったいどうなっているんだ」
という顔をしながら帰っていきました。
次は、少女の番です。
先程から手をお腹に添えて、苦しそうにしていました。
どうしたの?
「今朝から急にお腹が痛くなり、下痢を繰り返しているんです」
少しお腹に触れただけで、髭の老人はやはり右手を少女に向け、かざしています。
そして、顔の少し下当たりの首のところに手をやり、少し押しつけました。
「どう。まだ痛い?」「・・・・・・・」
「痛くありません。歩けそうです」
といって、ケロッとしています。
こんな話を、今までどこかで聞いたことがあるでしょう.
そんなことが、ずっと繰り返されているようです。
そうそう、かたわらでお弟子さんのような人が一生懸命、筆記しているのを見ました。
自分の勉強のためか、本でも書こうとしているのかわかりませんが・・・・・・
この髭の老人のいる村とはまったく離れた場所で、やはり白髭をはやした老人が住んでいる家にも、近隣から人がやって来るというのです。そちらへも、行ってみましょう。
腰が痛いという男、肩が痛いという男、両腕が痺れるという女、頭が痛い、脚が重い、お腹が痛い、さまざまな病をもった人達が大勢きています。
ここの老人は鍼を使って治すらしく、一人一人の肩に手をやってしばらくして鍼を取り出し、肩や腕や脚、腰、背中に刺しています。
大体、一人に2・3本くらいは刺しているようです。
やはり傍らに若者がいて、目を皿のようにして覗いています。
覗いては筆記し、覗いては筆記しています。
また、ある地方の海岸のそばに住む老人も同じようなことをしていると聞き、駆けつけました。
その老人は陽にやけ、真っ黒な顔をし、無精髭をはやしています。
毛むくじゃらの太い腕を出し、器用にもぐさをひねっています。
やはりその老人の家にも、漁師やその家族、村人たちが大勢やってきています。
8・9人が床に横たわり、じっとしています。
老人は腰が痛いという男、脚が重いという女、肩に力が入らないという漁師、背中が痛いという老人、さまざまな病を持って横たわっている村人に対して、一人ひとり身体に手で触れブツブツ何かをいって、もぐさを置くところを探している様子です。
探し出しては素早くもぐさをひねると、火を点けています。
それはそれは、早い動きです。
5人目にかかった時には、最初の者が立ち上がり次の者と入れ替わっています。
一巡すると、一番手前に戻ってきては、同様のことを繰り返し奥の方へと移っていきます。
その繰り返しを、ずっと続けています。
それは、ものすごい数になります。
立ち上がった者たちは、平然としてそこを立ち去って行きます。
もう慣れっこの風景なのでしょう。
よくなって当然、何一つ疑がう様子もなく帰って行きます.
それをかたわらで、2・3人の若者がやはり覗き込んだり、考え込んだりしながら一生懸命筆記しています。
また、ある村でも・・・・・・
そんな老人(名人)たちが中国では昔、あちこちにいたのです。
こんな話も、どこかでキット聞いたことがあると思います。
それは、アメリカインディアンの話です。
ある部族が、山の麓に居留していました。
一つ、大きなテントが離れて立っています。
そのテントに次から次へと、人が入っては出てきます。
よく見ると、入って行く人はどこか病んでいるように見えます。
出てくる人は、皆一様に元気そうに見えます。
テントの中で、何が行われているか見てみましょう。
テントの中央に厳かな表情をした老人が、パイプを吹かしながら座り、その前に、次から次へ、先程テントに入ってきた人たちが替わる替わる座ったり、横たわったりしています。
しばらくしてすくっと立ち上がると、皆元気になってテントを出て行きます。
その老人が何をしているのか、興味を持って見ていると、杖のようなものを地面に突き刺して、左手で支え、右手を上にかざして何やらブツブツいっています。そして突き刺した杖を抜き、それで身体の一部を叩くのです。
よく見ると、一人ひとり違うところを叩いています。
頭だったり、肩だったり、腕、脚、お腹、腰、それはさまざまな場所です。
確信を持った顔で、そんなことを繰り返し繰り返し、行っています。
次は、アメリカインディアンの住んでいる所よりも、もっと南です。
インカの国です。
ジャングルの中のその村にも、やはり特別な年寄りがいました。
昔から多くの場合、そんな年寄りに共通しているのは髭があるということです。
髭というのは、「皆より偉い」という証しなのでしょうか?
そんな年寄りたちは共通して、どこの村でも特別な存在です。
特別なものは、それだけではなかったのです。
どうして、そんなことができるのでしょう。
他の人に出来ないことができるのです。
「人の病を治す」というそれは真に、特別なことです。
インカの特別な人は、それほど年は取っていません。
頑丈そうに見えます。
顔に面をつけています。
上半身は裸です。
手には宝石のようなものを持ち、多くの村人の前に立っています。
空を仰いで何ごとかブツブツいっては、ジーッと天を仰ぎ、また、ブツブツといっています。
そんなことをしばらくしていると、両手を広げお辞儀をしました。
そして、その宝石のようなものを一人一ひとりの頭にかざし、何事かブツブツいっては裏返し、再び宝石のようなもので、肩や背中、腕や手、脚を叩くのです。
すると、先程までいかにも病人風だったその婦人は、目を輝かせ笑顔で応えるのです。
彼はそれには応えず、隣の婦人に対しても同様なことをしました。
すると、先程の婦人と同様な笑顔で応えるのです。
彼は次から次へ、老人、男、子供、赤ちゃんと、さまざまな人を相手に同様なことを繰り返しているのです。
広場の中央で、それは、毎日のように行なわれているというのです。
たぶん、空には誰かがいるのでしょう。
その誰かと、会話をしていたのだと思います。
空に向かって会話をした後、一人ひとりに対して行っていましたから、きっと誰かにどうしたらいいか、聞いていたのでしょう。
もう一人そんな人が、アフリカにいるというのです。
中央アフリカの草原に住む住人の中に、そんな人がいると聞いて向かいました。
紀元前の話ですから、かなり昔です。
彼等は草原で狩をしたり、河で漁をしたりして生活していました。
家も草や木をつなぎ合わせて作った、草原にぴったりの風通しのいい家です。
そんな家がたくさんある中で、ひときわ大きな家がありました。
集会所にもなっているのか、大勢の人が集まっていました。
その人は大勢の村人の前に立ち、いかにも皆と違う格好をしています。
何やら、いろいろな動物の羽や骨や毛皮を、身体につけています。
そして、踊り出しました。
しばらく踊って、動物の頭蓋骨がついている杖のような物を持って、次々に村人の背中や、腰や肩、腕、脚、お腹、頭などを、叩く、というよりは触れるようにしていきました。
よく見ると、横たわっている者もいます。
彼に対しても、同じようにしました。
そして、もう一度踊り出しました。
すると村人たちもその人について、踊り出しました。
かたわらの人に聞いてみると、今、踊り出した人たちはほんの少し前まで身体の状態が悪く、踊るどころか、歩くことも、立っていることもできなかったのだ、というのです。
それが、今ではすべての人が踊り、だんだんと激しくなる踊りについて踊っています。
まさか、と思うような激しさにもかかわらず、です。
そんなことが、毎日繰り返されている、というのです。
中央アフリカには、そんなことのできる人が他にもあちこちにいるというのです。
アフリカ中には、もっとたくさんのそんな人がいるはずだ、というのです。
驚きました。
ところで、日本ではどうだったのでしょう。
日本にも、大昔からそんな人はいました。
縄文や、弥生時代にいたのです。
縄文や弥生時代がよほど原始の時代と思っている人は、山内丸山遺跡や吉野ヶ里遺跡を見に行ったことのない人なのでしょう。
もう立派に、集団生活を行っていました。
当然に、秩序もしっかりあったのです。
そんな時代に、すでにいたのです。
縦穴式の大広間に人々を集め、やはり髪の毛を長くした、老人が白衣をまとい、何やら身体中に飾り物をつけ、右手には貝殻を紐に通し、車のハンドルくらいの大きさのものを振り回しています。
一通り踊った後、それを一人ひとりの頭の上で何やらブツブツいいながら、ゆっくり左右に振ったかと思うと、左手に持っていた動物の骨のような物で肩を叩いたり、頭をなでたり、背中を叩いたりしています。
全員でやると、また踊り出し、しばらくして皆の前にどかっと座り込みました。
そして、また何やらブツブツいっているようです。
それが終わると、深々と頭を下げました。
その時は、全員も同時に下げました。
その老人は、またブツブツといいながら、立ち上がると大広間を出て行きました。
残された人々は、身体をあっちこっちに動かしながら、喜び顔で互いに声を掛け合っています。
みんな「すっかりよくなった」と口々にいっているようです。
奈良時代になると、各地の山の麓や町はずれに一人の老人が住んでいる家があります。
その老人が住んでいる家に、人々は遠方から来ているようです。
旅支度をしっかりした、親子の2人づれ。ようやくたどり着いたといわんばかりに、へたり込んでいる老婆。よほど遠方から来たのか、馬ともどもよれよれになっている男。
さまざまな人が、来ているようです。
家の中は薪を組んで高く積み上げ、炎がこうこうと輝いています。
老人はその前に座り、一人ひとりその老人の前に歩み出ています。
老人は白い着物を着、頭は白い布で髪を縛っています。
燃え尽きた薪を持ち、それを左右に振りながらブツブツいっています。
しばらくして、前に座っている老女の服の上から、その薪で叩き出しました。
余り痛そうではありませんが、小刻みに叩いています。
すると、歩くことも出来なかった、といっていた老女の腰がだんだんと伸びてきて、背中も真っ直ぐに、立ち上がりました。
老女はたいへん恐縮して、何度も頭を下げては泣いています。
老女が退いた後は、あの親子です。
よく見ると、2人とも歩行が困難なようです。
「激しい農作業で腰を悪くした」そうです。
やはりその老人の前に、並んで座りました。
老人は同じように燃え尽きた薪で、その親子の背中から脚まで小刻みに叩き出しました。
2人とも傾いて立っていましたが、だんだんと普通に立てるようになっていくのが遠くで見ていてもよくわかりました。
江戸時代になると、町の中にも少し風変わりな人が現れました。
彼は、老人ではありません。
でも、わざと老けて見えるようにしているようです。
街の中で、看板を出しているようです。
「病除き」と書いてあります。
繁盛しているらしく、玄関から人があふれ出ています。
それこそ、さまざまな人たちがいるようです。
彼は、どんなやり方をやっているのでしょう。
親指と人差し指で、細長い棒を挟みブツブツいった後、その棒を倒しています。
その棒の倒れ方や、倒れる方向によって違うようです。
その棒の倒れる方向を確認した後、彼は親指や手のつけ根を使って、背中や腰、お腹、足を揉んだり、叩いたりしています。
それはそれは、驚くほど早い動作でこれを繰り返し行っています。
次から次へと、人々は替わっていきます。
入り口には会計があるようで、皆そこでいくらかづつ支払っているようです。
時代が違ってきたのでしょう。
病を治すのは、一つの職業になっているようです。
現代とあまり変わりなく見えます。
ただ違うのは、彼はそこで「開業」するまで山に籠もり、長い間修業してきたというのです。
命をかけての修業だったといっています。
日本にもいろいろ、さまざまな人や方法が、やはり存在していたのです。
昔から、世界中にさまざまな方法で病を治す人がいたのです.
けっして、中国だけではなかったのです。
ただ、中国だけが他の国と違っていました。
それは、そんな老人たちのかたわらで、若者が筆記していたという事です。
そんな老人たちのそばにいて、一生懸命筆記したものが、結局後世に残されました。
それを、それぞれの時代、地域などで集め、整理し、本にしていったのです。
そしてまた、そんな整理したあちこちのものを再び集め、整理した人がいたのです。
それは、さまざまな病や症状に対して、どこを刺激したのかを調べたのです。
鍼で行った時、指で刺激した時、お灸をした時、棒の先で押した時、その他さまざまな道具別にわけたりしました。
そして、それぞれの道具で、どこを刺激したのかも整理したのです。
すると、どんな病の時にはどこを、どんな症状の時には、どこを刺激するのか。
刺激するものの種類別、季節別、性の別、年齢別、職業別、階級別等々さまざまに整理していったのです。
しかし、戦争や災害のために、それらの多くが消失しました。
その一部が、ほんのわずか残りました。
それを、その時代に合わせ整理したものが、それぞれの時代に出来ました。
しかし、ある時期からは「昔のよきもの」の中に入れてしまい、そんなこともしなくなりました。
そんなものが、日本に伝わってきたのです。
今日行われている「ツボ」を使った療法は、この時のものです。
それを独学で習得した者、学校で習った者がいるのです。
江戸時代からそんな形で日本にはいってきた「ツボ療法」を特定の人達に教え、職業にさせてきたのです。
今日では誰もが「ツボ療法」を教える学校で、勉強することができます。
入学するための試験はありますが、独学で勉強することもできます。
そして皆が皆「どの病にはどこを」「どの症状にはどこを」と教えている教科書で勉強しますから、皆が皆、同じ「ツボ」を使うようになりました。
その昔は「ツボ療法はすごい。一発で病を治す」と、思われていました。
しかし、今日のように誰も彼も同じような症状に同じ「ツボ」を使うようになってくると、その効果も薄れてきました。
思い出してください。
昔、世界中で行われていた療法は、一人ひとりに対して刺激する箇所はすべて違っていました。
同じ症状でも、同じ年齢、性でもみな違っていました。
名人や、老人たちは手をかざしたり、身体の一部に手で触れたり、杖を持って天を仰いだり、地面に杖を刺したり、踊ったりしては、病人に対して何か刺激していましたね。
そうです。彼らは、「どこか誰かに尋ねていた」のです。
そして、「得たことを、そのまま病人に行っていた」のです。
その結果が、「よくなった」と、いうことだったのです。
今日「ツボ」を扱って治療行為を行っている人とは、大いに違っていますね。
習ったものを、そのまま押し付けている今日の「ツボ療法」
「自分は何者か?」「何をすればいいのか?」「どうすればいいのか?」をどこかに尋ね、その答えをもらって行う昔の療法。
似ているようで、似ていない。
似てないようで、似ていますね。
少なくとも、習ったものをそのまま病人に押しつけているような今の「ツボ療法」は、間違いなくそれ等とは違っています。
では、昔のさまざまな療法はどうでしょう。
そうです。
昔の療法は、それぞれの国や地域でその風土、環境、人種、時代の違いの中で行われていた療法だったのです。
そしてそのほとんどが、「行う人は特別な人」であり、その効果は絶大だったのです。
それは、彼らは「天」に「元」に「神」に尋ねていたのです。
そして、その答えのままを行う人たちだったのです。
その人たちの行った結果だけを記録し、整理すると、ただのHOW TO本になったというわけです。