ヒューマンエネルギー研究所
第5章 「医」のセンサー
ところで、あの老人たちのかたわらにいた多くの弟子たちはどうなったのでしょう。 彼らは一生懸命老人の技を盗もうと、一時も目を離さず、老人の一挙手一投足を見つめていたのです。 1年・2年・3年・5年・・・10年・・・・20年それ以上の間、彼らはそれを続けていたのです。 しかし、誰一人、それを使いこなす者は現われなかったのです。
物作りの名人のかたわらで見ているだけで、名人の域に達する者などいないのです。
「料理の名人」のかたわらで見ていて、同じものができるでしょうか?
できなくて、当然です。
名人の「書」を見て、名人の域に到達できる者などいないのです。
なぜなら名人たちは、自分の中にセンサーをもっているのですから。
誰もが、「名人」になるわけではありません。
「木」が相手であれば、材質を知り尽くしていなければならないのです。
「木」の成長する時期、木の反り返り方、方向、角度、それぞれみな違います。
そして思った通りにならない時は、すばやく対応できることが名人の条件です。
それは、料理も同じです。素材の特徴を、十分に知っていること。
そして、季節、時間に合わせ、状況、雰囲気にあった塩加減、味加減ができること。
それに独特の隠し味をもっていることが、名人の条件です。
それらは見ていて分かるものでなく、盗めるものでもありません。
もっと誰にでも分かりやすく説明するのなら、「指圧」があります。
名人の行う「指圧」を、まねすることは不可能です。
「同じところを同じように押しているのにどうして違うのだろう」と、弟子たちはいいあうのです。
「どんなにしても、患者さんは違うという。どうしてなんだろう」
「名人の親指」を、あなたたちはどれだけまねることができていますか。
名人の、親指の大きさをまねましたか?
名人の、親指の形をまねましたか?
名人の、親指の湿り気をまねましたか?
名人の、親指の温度をまねましたか?
それだけではありません!
押す時の、圧をまねましたか?
押す途中で筋肉の異常をキャッチし、方向が少し変わったのをまねましたか? 身体の状態がどんどん変わっていくにつれ、反応が少づつ変わってくるのに対応して、押す圧や方向を変えたのをまねましたか?
名人の、人に対する 癒しの心をまねましたか?
名人の、その患者さんに対する愛情をまねましたか?
そして、世界各地にいた昔のあの老人たちがやっていたことを、まねることが出来ますか?
中国の山の麓にいたあの老人は、一人ひとりに対し真正面に立ち、手をかざし、目をつむって何事かをささやいていましたね。
何をささやいていたのでしょう。
「この若者の右腕が、突然痛くなり歩けなくなった。
それは、筋肉の問題か、関節の問題か?」筋肉!
「その筋肉は腰か、脚か?」 腰!
「背骨のがわか、お尻の筋肉か?」 お尻!
「お尻の筋肉を正常にすれば、よくなり、歩けるようになるのか?」 そうだ!
「お尻の筋肉をよくするポイントは、首か腰か? 」 腰!
「腰のあたりか?」 そうだ!
そして老人は、若者の腰のつけ根を親指で強く押したのです。
また、座り込んでしまっている老人の時も、老人に右手をかざして
「この老人は、何か心配事のせいなのか」 違う!
「筋肉の問題か?」 違う!
「関節か? 」 違う!
「神経か?」 そうだ!
「腰の神経か?」 違う!
「首からきている神経か?」 そうだ!
「首のここか?」 違う!
「ここか ? 」 そうだ!
その老人は、座り込んでいる老人の首の下を押しました。
すると、座り込んでいた老人が立ち上がり、歩きだしたのです。
肩こりの中年の女性の前に行き、老人はやはり右手をかざし
「首の骨のづれか ? 」 違う!
「背中の骨のづれか?」 違う!
「筋肉の問題か?」 違う!
「・・・・・・・うーん? 関節の問題か?」 そうだ!
「肩の関節か?」 違う!
「鎖骨のづれか?} そうだ!
老人は、その女性の肩の下を拳で叩きました。
女性はよくなり、喜んで帰っていきました。
アメリカインディアンの老人は、杖を地面に突き刺して片手を上にかざし、なにやらブツブツいっていました。
「腰が痛いというこの戦士をよくしたい、どうしたらいいか教えて欲しい。
地面に刺した杖で、ここを叩けばいいのか?」 違う!
「それは背中か?」 違う!
「肩か?」 違う!
「手か? 」 違う!
「足か?」 そうだ!
「それは右足か?」 そうだ!
「足の外側か?」 違う!
「内側か?」 そうだ!
「そこを、頭に向かって叩くのか?」 違う!
「後へ向かってか?」 そうだ!
老人はブツブツいっていたかと思うと右手を返し、上げたまま深々と一礼して杖を地面から抜き出し、戦士の右足の内側を後ろへ向かって叩きました。
腰が痛くて動けないといった様子だった戦士が急に立ち上がり、一度飛び跳ねました。
老人の手を両手で包み込むようにして深々と頭を下げ、元気に出て行きました。
インカの特別な人も、中央アフリカのその人も、縄文の髪の長いあの老人たちも、みなそのように「自分の元」の波長をキャッチしていたのです。
これが名人であり、その技を盗もうとする者の姿です。
名人のやる一つひとつを、盗むのではないのです! 「どうしてそうなるのか」・「何でそうするのか」・「何でそうなったのか」を、盗むのです。
名人がそうするのにはすべてわけがあります。
そのすべてが、名人の中にあるセンサーによって行われているのです。
名人―天才は、自分のやることが何かを「空間キャッチ」しているのです。
そして、自分でしかできない方法で行っているのです。
誰にでもできる方法で、やる必要はないのです。
それは、最初から誰にでもできる方法など、存在していないからです。
「誰もが、自分にしかできない方法で行っているはず」なのです。
「誰にでもできる方法」の、必要性などなかったのです。
「自分が行うこと」ですから、何で、誰にでもできる方法を考えださなければならないのでしょう?
「誰にでもできる方法の必要は」、後ででてきたものです。
「誰にでもできる方法」を必要とした者がいて、「その方法を考え出した」というわけです。
だから、その方法は名人―天才の技ではなく、最初から誰にでもできる―つまり「どうでもいい方法」にすぎないのです。
そんな「誰にでもできる方法」がもてはやされ、拡がり、支持されるようになっていくのです。
どうでもいい方法―つまり効果も、何もなしの技術が拡がるのです。
●「医の波長」も「自分センサー」の一つ
「医の波長」をキャッチできる人物の中で、特に優れた人がいたのです。
そして、彼は自分の役割を果たしていただけです。
そんな彼の周りには、彼を信頼し、すがってくる人が増えていったのです。
ところが、そんな彼の周囲の人たちや後世の人たちが、彼の行うことを自分たちの都合のいいものに、どんどん変えていきました。
その時代、その時代で、人をコントロールする方法や、言い方があります。
そんな人たちは、彼のような能力をもっている人を、利用していったのです。
そして同じ利益を求める人たちが集団を組み、「組織」を作って大きくなっていきました。
そんなものが、今だに世界中のあちこちに残っています。
それは、一般には宗教集団といわれているものです。
彼らのいうことを信じない人々にとっては、まったくわけのわからない集団です。
そんな集団が、世界にいくつもあります。
その組織が利用している「特別な能力のある人自身」は、そんな組織と何の関係もないのです。
なぜなら、「自分の役目、役割を当たり前に果たしただけ」なのですから、そんな人の利益と本人とはまったく関係のないことのはずです。
彼の能力は、彼の「元からきた波長の通り行う」ことができるというだけなのですから・・・・
だから祭り上げられている「その人」には、ぜんぜん関係のない組織になっているのです。
「元からきた波長をキャッチしてそのままを行うことのできる人は」、自分自身を特別だとは思っていません。
「その必要があるからであり、たまたま自分がその役割を担っているだけ」と、わかっているからです。
だからそんな人には、特別な組織は必要ないのです。
にもかかわらず、近代になってもそんな組織が起す事件が、世界中で起こっています。
最初から政治的、経済的なことを目的にそんな人物が現れ、「特別な能力」があるかのごとく振舞って民衆を惑わす。
ごく最近も、日本にもありましたね。
しかし、利己的な目的を持って人を集め、政治、経済に利用する、そんなことは世界中で日常茶飯事です。
「何が本当なのか、何が本物なのか、何が真実なのか」を見極めることです。
かたよらず、「心を元に戻して」見極めることです。
どんな人も「自分の元があるのですから、そこから自分に向かって波長が届いている」はずです。それを、キャッチするのです。
誰でも、「自分のキャッチできる波長がある」のです。
どんな波長も、「元」につながっています。
「そんな利己的な集団、組織のいうことに、惑わされることはない」のです。
しかし、実際には「自分の元の波長をキャッチするセンサー」が眠っている人が多いのです。
人によって目覚める時期、タイミングがあります。
また、目覚める方法も違うのです。
それだけではありません。
生きている間に目覚めるかどうかもわからないのです。
実は、そんな人の方がはるかに多いのも事実です。
そのためにも、「自分の波長をキャッチするセンサーを磨く必要がある」と思うのです。
この「自分の波長をキャッチするセンサー」を私は「自己(自分)センサー」といっています。